青年部の活動
 ―知らなければいけないこと―
豊島・直島視察研修旅行記から(その1)


青年部部長 伊藤滋(株式会社千足)

 平成20年度青年部最終事業として、香川県豊島・直島両島へ視察研修旅行に行ってきました。費用を最小限に抑えようと、青年部執行委員の地道な作業によって企画運営を行ったために参加者各位にはご苦労をおかけしたと思います
 早朝6時30分に羽田空港に集合。7時45分に飛び立ったANA531便は、定刻通り9時05分に高松空港に着陸。その後高松空港リムジンバスに乗り込み、10時過ぎに高松駅に到着。スーツケースをコインロッカーに押し込むと、早めの昼食、“讃岐うどん”を目指して、ぞろぞろと商店街に向かいました。が、お店選びに失敗。気が付くとテレビに映し出されるイメージとは程遠く、むしろショッピングモールにあるようなうどん屋さんのテーブルを囲んでいました。空腹でも朝食をとらずに“讃岐うどん”へのあこがれを抱いていた一同は、思いの丈とは程遠い現実と対面し、「旨い・・・」という言葉は虚しく、引き攣った表情からこぼれる、うどんをすする音だけが店内にこだましていました。
 高松から豊島へは海路です。小豆島の西方約4kmに位置するその島の面積は東京都豊島区とほぼ同じ約14平方キロメートル。人口約900人。その内高齢者が50%超の過疎の島です。一般的にはフェリーにて30分。ゆうゆうと瀬戸内海を臨んでの遊覧です。しかし勇敢にも敢えて海上タクシーという手段を選んでしまいました。定員12名のその船は、お互いの体温が伝わる程の密着を強要し、スピードの副産物であるその揺れは、絶叫マシーンを彷彿させるばかりではなく、消化前のうどんの逆流を促し、笑顔はやがて波間に消えていきました。
 異様なハイテンションのまま、豊島家浦港に到着しました。

 「豊かな島」と書いて「てしま」と読むこの地は、古より自然環境に恵まれていました。西日本最古の貝塚である礼田崎貝塚は9000年前のものであることも確認されています。古代の人々が生活するに十分な条件が備わっていた地であったと考えられます。村史には源平合戦の末からの歴史が記述されています。瀬戸内海名産として名高い「豊島石」は西日本に広く流通し、およそ1000年にわたって、石の加工業が豊島の基幹産業でした。豊島近海は豊富な漁場として名を馳せ、また、120ヘクタールにもおよぶ水田や「ミルクの島」と謳われた酪農から想像できるように、文字通り豊かな島でした。
 しかし戦後の高度成長期に状況は一転します。住民の高齢化、人口流出による過疎化、瀬戸内海の荒廃による漁業資源の異変、減反政策による水田耕作の放棄。更には国際社会に向けた自由競争を背景に石材業も衰退していきました。
そして豊島の岸辺に最も激しく打ち寄せる荒波は、「豊島事件」と称される我が国最大級の有害産業廃棄物不法投棄事件をも運んで来てしまったのです。

 豊島の不法投棄現場を見学するためには事前予約が必要になります。「廃棄物対策豊島住民会議」宛てに連絡を取り、見学申し込み用紙に必要事項を記入の上、あわせて行程表を提出。離島のため、交通手段を含めて詳細に打ち合わせます。見学に際しては香川県との取り決めにより、不法投棄現場見学には勝手に立ち入ることができません。住民会議の方が同行し、案内と説明をしていただけることになっております。

家浦港より少し歩いたところに大きな看板が掲げられていました。

『  豊かなふる里 わが手で守る   廃棄物対策豊島住民会議  』

島民の決意が窺えます。看板の前に最初の目的地である豊島交流センターを見つけることができました。展示資料を眺めること数分。長靴を履き、青いジャンパーを纏った漁師風の男性がやって来ると、ゆっくりとベンチに腰を下ろしました。その方こそ住民会議の案内役、石井亨(とおる)さんでした。

「不法投棄現場はどうなっているのか?」「不法投棄された産業廃棄物をどのように処理しているのか?」「適正処理の重要性を説明するための材料はないか」豊島を訪れるに当たり、私の興味はこの3点に集約されていました。が、それはすぐに改められることになります。

 挨拶を済ませた後、石井さんは淡々と説明を始めました。
1990年11月16日、豊島産業廃棄物不法投棄事件は兵庫県警の摘発によって、明らかとなりました。早朝より豊島上空には8機のヘリコプターが飛来、海上からはおびただしい数の警察官が上陸し、その模様は世界中で放映されました。
発見当時全国最大(現在は3番目)。事業者の有罪確定後も放置されたままとなっていたその規模は50万トンを超え、面積にして46万平方メートル。その多くはシュレッダーダストの廃プラスチック類。更に、その他タンクローリーで持ち込まれた正体不明の液体はそのまま垂れ流され、ドクロマークやPOISONと表示されたドラム缶は重機で穴をあけ、液体が漏れ出したところで火をつけて燃やしていたそうです。業者によって持ち込まれた廃棄物の総量は100万トンを超えているといわれ、残存する約8割が有害廃棄物の基準を上回っていました。野焼きによって容積が半減した反面、廃棄物に含まれていた鉛が高濃度に濃縮されたことが、その原因に挙げられます。且つ、廃プラスチック類の焼却によって、当時国内最高濃度のダイオキシン類が生成されたと考えられ、PCB、ベンゼン、トリクロロエチレンなどの有害物により。廃棄物層の直下土壌及び地下水も汚染されていました。住民自らによって行われたボーリング調査の結果、ダイオキシンは30メートルの地下からも検出され、瀬戸内海に有害物が流出する危険性を懸念せざるを得なくなるのです。
 唇から放たれる乾いた声は、それでいて重厚で、厳しい現実と常に対峙してきた住民の代表者たるものでした。我々は一気に引き込まれ、空間は緊張感で飽和していました。そして、それは豊島を後にするまで続くことになるのです。
我々はバスに乗りこみました。到着先は不法投棄現場でした。

 作業前の不法投棄現場には広くシートがかけられていました。遠くでは重機が音を立てているのが見えます。計画では67.5万トンを10年で処理する予定でした。5年経過した現在、未だ40%しか消化できていません。また、公共事業として始められた処理費用は、当初、香川県の出した見積もり予想が17億円。やがて300億円に大幅に見直され、現在では500億円と言われています。その費用の割り振りは、香川県が40%、国が60%の負担となっており、貴重な税金が投入されているのです。但し、その額も10年にて完遂した場合の数字であり、70億円以上が不足するであろうことが危惧されています。

 掘り出されたシュレッダーダストは焼却と溶融にて処理されます。複雑な汚染経路を経ていて、土壌にまでその汚染が浸透してしまっているために、廃プラスチック65%、汚染土壌35%、そこに中間処理の効率化を促進させるために石灰や炭酸カルシウムを添加し、重機によって混合します。2日間養生した後に「G」の文字が書かれた中間保管・梱包施設にて一時保管されます。
隣接した高度排水処理施設では、北海岸に設置した遮水壁によって海への流出を防いだ地下水・浸出水をポンプで汲み上げて浄化しています。

 中間処理は隣の直島にて行っています。直島への海上輸送は、フェリー型の専用輸送船を使用します。1回の輸送につきコンテナダンプトラック18台、150トンをそのまま乗せます。これを1日2往復、年間220日の運航がなされています。単純計算でも11年を超える作業となり、実際に最後の1台分が掘り起こされ、運び出されるその時まで、カウントは重ねられていくのです。
今、我々が立っている不法投棄現場は島の西端「水ヶ浦」という名の地域で、国立公園に指定された景勝地でした。縄文時代から弥生時代にかけては集落があったようで、「水ヶ浦遺跡」「横引ヶ浜遺跡」として存在していました。しかし、もはやその痕跡を辿ることはできません。そこにはシュレッダーダストが眠っているのですから。

(つづく)


 ―知らなければいけないこと―
豊島・直島視察研修旅行記から(その2)


青年部部長 伊藤滋(株式会社千足)

 「豊島のこころ資料館」では、豊島事件と豊島住民との長く辛い闘いの歴史が収められていました。業者との闘い。県政との闘い。県民との闘い。被害者であるはずの住民が加害者扱いを受ける苦悩。風評被害。石井さんは事件の発端から今まだ終わらない現実について、順を追って話してくれました。納得のいかない感動が視界をぼやけさせます。
具体的内容についてはここでの発表を控えさせていただきますが、いずれ別のかたちで表現させていただければと思います。
気付けば、時計の針は高松港へ戻るための海上タクシーに乗り込む時間を越えていました。「まだここに残って話を聞いていたい。」そんな気持ちを押し殺し、熱弁を振るう石井さんにその旨伝え、大急ぎでバスに乗り込みました。バス中では短時間ながらも質疑応答が繰り広げられ、停車するまでその声は止むことがありませんでした。また、石井さんは豊島問題解決のために島内から選出され、県会議員を2期つとめた方と判明しました。驚かされると同時に密度の濃いお話に一同納得しました。
豊島交流センターに到着すると、お礼とお別れを告げ、早足で港に向かいました。するとすぐに後ろから石井さんが追いかけてきました。そしてご本人、石井とおる著「未来の森」(農事組合法人てしまむら刊)を手渡してくれました。再度お礼とお別れの言葉を交わし、愛着あるあの船で高松へ向いました。

 高松港から高松駅までは目と鼻の距離です。コインロッカーから荷物を取り出し、地図を片手に20分ほど歩いて、ようやくホテルに到着しました。温泉で汗を流すと食事の時間はもうすぐです。
乾杯の発声が場内をつつみ、夜宴が始まりました。一日の充実感が身体を支配していました。一同の興奮は冷め止まず、それぞれが感想を述べ合い、いつしか夜宴は討論会に発展していきました。そして瞬く間に時間は流れていきました。タイトなスケジュールに過酷な移動、精神を研ぎ澄まされた貴重な視察研修。満足な心持の中、ゆっくりと床に就き疲れを癒しました。

 2日目の視察は直島環境センターです。昨日と同様、海路での移動になります。
高松港にて我々を待ち構えていたのは、案の定、海のアトラクションでした。全国的にみても降水量の少ない瀬戸内地方ですが、その日は一転して冷たい雨が降り注いでいました。当然その影響で、海は硬く表情をこわばらせています。船はトビウオのように波の上を跳ねていきます。大きく打つバウンドの度に我々は宙に浮き、窓には高波が挨拶をし、船内では奇声が何度も上がりました。恐怖を隠そうと眠った振りをする者、吐き気をごまかそうとはしゃぐ者。

 ゆっくりと進んでいくフェリーを横目に、ついに直島宮浦港に到着しました。
直島は大正6年に三菱鉱業、現在の三菱マテリアルM直島精錬所が設立され、飛躍的な進化を遂げてきた島です。そして全国の循環型社会のモデル地域にしようとする計画を打ち立て、平成14年には国(経済産業省、環境省)からエコタウンプランの承認を受けました。このプランに基づいて、市町のごみ処理施設や豊島廃棄物の処理施設などから発生する溶融飛灰、廃棄された家電製品や自動車のシュレッダーダストなど、これまで埋め立てていた廃棄物を原料に、金、銀、銅、鉛、亜鉛など貴重な金属を回収する事業を創出、同時に地元住民、事業者、行政の協力のもと、ごみ減量化、緑化、エコツアーの誘致、ワークショップ、環境シンポジウムなどを推進し、環境と調和したまちづくりを行っています。
 直島町コミュニティバスにて直島環境センターに到着しました。この施設は香川県が事業主体となり、溶融処理に伴って発生する飛灰やスラグ等の副成物を再資源化し有効利用するほか、プラント排水等を再利用するなど、完全循環型の施設となっています。溶融処理に伴って発生する飛灰は、 隣接する三菱マテリアル(株)直島製錬所で有価金属を回収します。
廃棄物処理により発生するスラグはコンクリート用骨材などの土木用材料として加工。コンクリート製品として販売され公共事業に使用されています。

 規定の時間が過ぎました。コミュニティバスは三菱マテリアル直島精錬所の脇を抜けて走っていきます。豊島から来たコンテナダンプトラックが列を成して進んでいるのが見えました。昨日のことが思い出されます。やがて宮浦港に到着しました。

 「知らなければいけないこと」それはまさに廃棄物対策豊島住民会議が掲げる「わすれてはならないこと」にほかなりません。今回、豊島問題に触れたことによって、廃棄物業界に身をおく自らの姿勢を、今一度確認するべく機会を得ることができました。

 資源循環型社会構築を目指す東京廃棄物事業協同組合。青年部は次世代の 担い手として存在しています。知識と意識の向上のために自らの啓蒙に努め、邁進していきたいと思います。そして業界人としての社会的責任、役割を情勢に照らして鑑み、個々の事業発展に活かしていきましょう。
最後に、この度の研修旅行に際しまして、応援、ご協力いただきました関係者各位に御礼申し上げます。また、青年部活動にご理解をいただき、積極的に後押しをいただきました東京廃棄物事業協同組合理事の皆様に尊敬の念を表し、重ねて御礼申し上げます。 

以上






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