研修委員 西沢潤
青年部の視察研修が開催され、21社22名が参加した。本年度は、東京湾の海洋環境整備事業を行う「べいくりんセンター」にて、乗船体験も含めて視察し、特装メーカーである極東開発にて最新車両の見学と安全に車両を使用するための方法についてレクチャーを受けた。
2日目にはアサヒビール足柄工場を訪問し、ビールの製造工程について見学するなど、全体を通して部員間での情報交換や親睦も図ることが出来た。
挨拶をする板越青年部長
増渕専務理事も参加頂いた
横浜市神奈川区にある国土交通省の機関で、東京湾内の浮遊ごみの回収や水質監視などの日常作業と、がれき類の撤去などの災害復旧支援も行なっている。
回収されたごみの様子
災害復旧支援としては、平成9年に発生したダイヤモンドグレース号の油流出事故での油回収や、東日本大震災の時には、宮城県の仙台塩釜港や石巻港及びこれら周辺海域でのがれき類撤去作業の支援をされた。
彼らの管轄は23区の敷地面積より1.4倍広い海域だが、近年は運航に最低限必要な6名のみで運用されているとのこと、とても大変に感じた。
事業説明をする千葉港湾事務所の中村課長
部員に説明する土屋船長
回収の様子を模倣する長津機関長
まずは、ごみ収集車に関する安全講習会を受けた。
車両の種類や、安全に稼動するための装置や構造、グリスの給油箇所、車両に関する労働災害防止に関する法律、安全点検に関する事項や具体的な事故事例に基づく内容の講演だった。
日頃から使用しているパッカー車だが、改めて気づくこともあり、とても勉強になった。
次に、最新の着脱式コンテナ車とパッカー車を用いて、操作手順などについて案内いただいた。
着脱式コンテナ車では、フックの先端だけが稼動して簡単にリフトバーに引っ掛けられる機能が搭載され、また、パッカー車では片手でテールゲートが開けられるレバーなどの新しい機能も確認した。
実車での講習会の様子
視察後は懇親会を開催して、本日の視察先のことや、日ごろの事業の話、プライベートな話も含めて、部員間での親睦を図った。
懇親会の様子
今回は天候にも恵まれ、全工程を無事終えることができ、充実した視察研修になった。
“ 生きること ”
東京廃棄物事業協同組合 青年部
研修副委員長 奈良成敏
東北全域に甚大な被害を及ぼした東日本大震災から2年以上が経過し、国民の危機意識も大分薄れてしまっていると感じる昨今、青年部は、近い将来には必ず起こると言われている首都圏直下型地震の備えとして、阪神淡路大震災の被災状況と復興プロセスを学ぶべく、7月5日(金)〜6日(土)の 1泊2日で研修旅行を行いました。
(語り部の西出尚子さん)
初日の研修終了後、昭和47年11月8日に皇太子殿下・美智子様もご宿泊されたという大変格式の高い『淡路島観光ホテル』へ移動。ホテルでは部員同士の親睦も多いにはかれました。
2日目の研修はうだる暑さの中、『北淡震災公園』からスタートし、震災の痕跡“野島断層”を見学しました。
この断層を目の当たりにして、自然の力とは 人の想像をはるかに超えるものでした。さらに当時さながら約40秒間 M7.0の地震体験をしました。体験者全員、大きく揺れるとわかっているのに驚きを隠せない面持ちでした。(野島断層を間近で見て震災の怖さを実感しました)
語り部“藤本 晃さん”から伺ったお話の中で、まだ小さな子供が震災で亡くしてしまった両親や兄弟の骨壷を抱えている姿を想像し、胸を引き裂かれる思いでした。誰か一人でも生きてさえいれば、その子供は“震災孤児”にはならずに済んだのです。
だからまず、“生きること”それが最も大切なことだそうです。
研修を終え、『千年—酒蔵』で複数週の地酒を試飲し、それぞれ気に入った地酒をお土産として購入し、その後は昼食会場の『蛸老亭』で”たこめし”を堪能しました。
また、バスの運転手さんの計らいで明石の商店街に立ち寄り、そこでもお土産購入を済ませ、一連の研修は終了しました。
(語り部の藤本晃さん)
阪神淡路大震災から18年、東日本大震災から2年が経過し、震災の恐怖は人々の脳裏から『過去の出来事』として風化しつつあります。
この度の研修で語り部の方々のお話を拝聴し、最も大切なのは“生きること”であると教えられました。
近い将来に首都圏を襲うであろう地震に対し、十分に知識と緊急時の体制を整え、起こったらまず“生きること”を第一に活動できるよう、個人個人が日頃から準備をすることが必要と感じました。
最後になりますが、神戸市環境局様、神戸市環境共栄事業協同組合様、語り部の皆様、そして神戸市でのディスカッションに多大なる御尽力をいただきました増渕専務理事には心より感謝いたします。
理事会報告